◆◆ホンダ VT−Z250【MC15】◆◆

■■免許取得からバイク購入に至るまでのなが〜いお話=プロローグ=

 私が中型2輪(当時。〜400ccまでの二輪免許)を取得したのは1987年。 バイクに乗りたくて乗りたくて、バイク屋でのアルバイトもしていた頃。 両親には「乗れるもんなら乗ってみな」程度の言われ方をされましたが、 私は本気。勇んで教習所へ赴くと、CBX400(教習車)を倒されて一言「これを起こしてごらん」。 ひーひーの思いで引き起こすと、「じゃあ今度はメインスタンド立てて」・・・これが出来ない!ピクリとも動かない。 「じゃあ君は小型2輪(〜125ccまでの二輪免許)から受講して」とあっさり言われました。 そうです、中型2輪を取りたいのに取らせてもらえませんでした(T_T)

 小型なんて、、、と少々見下していた感もありましたが、結果として規定乗車時間の2倍を掛けてしました。 特にS字が苦手。検定時も一本橋を落ちて再試。散々でした。ところが、小型から中型免許を取る中型審査では たった4時間の規定時間で合格を申し渡されます。400ccの扱いに戸惑っていた私は、自らもう一時間費やした程。 こうしてめでたく中型2輪の免許取得に至りました♪

 さて、ここまで自力でやってきて、欲しいバイクにも目星をつけた頃、両親・親戚の猛反対にあいます。 母には「どんな男と付き合おうが、例え駆け落ちしようが構わない。でもバイクに乗ることだけは止めて!」と泣かれます。 父には「事故ってトマトケチャップになった娘を見る親の気持ちを考えろ!」と怒鳴られます。 まぁ、心配してくれる親の気持ちもわからなくも無いし、親に悲しい思いをさせるのも辛かったので、その時には バイクを買うことを諦めました。でも、“バイクに乗ること”を諦めたわけではありません。

 時は流れ、気付くと免許取得から10年を迎える歳となりました。その間、私は一度も公道でバイクに乗って いません。免許取ったキリです。家から独立もして、自分の面倒は自分で見れるようになっていたことだし、 このままバイクに乗る夢を夢で終わらせたくない、と強く考えるようになり、もう一度親に許可を願いました。 母は「許したわけじゃないが、あなたのやりたいことを強制したくもない。でも、気持ちはわかって欲しい」 父は「絶対許さん!結婚してダンナが許すなら俺(父)はもう何も言えないが俺のもとに居るうちはダメだ!」 ・・・悩みに悩んだ末、私はバイク購入に踏み切ります。母には買ったことを伝えましたが父にはとうとう言えませんでした。

 そうして友人のツテ絡みでバイク屋を紹介してもらい、手に入れたのがこのVT-Zくんです。 いよいよ、夢のバイクライフ・・・か??

≪続く≫

≪続き≫
■■10年ぶりの運転顛末記

 購入のメドはついたものの、果たして10年のブランクがあってバイクを運転できるのか? いや、出来ない!絶対に出来ない!!・・・と言う事で、“免許を持っている人がリハビリ出来る 場”を探します。10年前に通っていた教習所へ尋ねるも、そういう講習はやってない、と一蹴。 他の教習所なども確認しますが、軒並みダメ。そのうちやっと、ペーパーライダー用の講習もあるという 「交通教育センター」を発見。同県内ということもあり、一日受講を申し込みました。

 初級コースでしたが、20人位の受講生のほとんどが現在もバイク運転経験者。 主に技術向上のために来ていたようです。そんな方々と一緒にされては大変!と 教官に事情を説明すると、もう1人同じようなペーパー歴8年という方がおりました。 私たち二人は他の生徒さんと切り離され、まずはバイクの操作を1から復習。・・・ 案の定忘れてる事いっぱい(>_<;)よかった、居残りで。当然、カリキュラム通りに進められない為 ほぼ半日を掛けて別コースで教習所内のような練習をしました。 教習車は確かホンダHORNET。バイクってこんなにデカくて重いっけ?と思いながら、 でも“バイクを動かしてる☆”という事を素直に感動しながら少しずつ感を付けて行きます。 やっぱ楽し〜♪

 ・・・などと余裕ぶっていられたのはほんの束の間。本コースにてすでに 本格的技術練習をしていた先発隊と合流したら、もう半泣き状態です(;_;)教官は私のレベル・経歴を 解ってくれているので無理の無いように、、と庇ってくれますが、他の受講生方にしたらリズムを崩す いい迷惑者でしょう?始めのうちはコケても自力で引き起こせたバイクが、後半になるにつれ 体力尽きてボロボロ。しまいには教官に「疲れたでしょう?あなたは少し休んでいなさい」といわれる始末。とほほ。 それでもスラロームでは大分バイクを倒せるようにまでなっていて、ぴったり後について見ていてくれた 教官から「随分良くなりましたよ」と誉めてもらえたときの感動は忘れない☆

 丸一日掛けて講習を受け、運転操作を身体に思い出させた事は大きな収穫でした。 どうせもう無茶な事は出来る歳でも技量でもないのだから、バイクを買っても動かせればいい、位の 私には充分な講習でした。しかし、、、翌日のジムカーナエントリーでは、体中の筋肉痛と体力消耗とで 悲惨この上ない状態だった事は余計なオマケでした#

 これでやっとやっとやっとの思いで、夢のバイクライフ突入・・・!?




■■仕様

 すみません。全然記録が残っていません(;_;)1997年6月納車。中古車を20万円で購入。 走行距離は結構いっていたと思うが、元女性ワンオーナーで程度は上場と言われたバイクでした。

■■エピソード

 バイク屋とは50km弱も離れていました。当然、引き取って自力で乗ってこれる自信なんて ありません!わざわざうちまで軽トラで運んできてもらいました(^_^;)簡単に操作説明など受けて バイク屋さんが帰った後、いよいよ自分で自分のバイクを走らせに出かけます。緊張の瞬間!

 当時住んでいた辺りは住宅街。大きな道路もありますが、そんな所を走る余裕はありませんので 車通りの少ない近くの公園の周りをぐるぐるぐるぐると・・・。遊んでいた子供達には怪しまれたでしょうね。 大したスピードも出せない上にヨタヨタと走らせて運転に慣れようとします。(スピードが出せないからヨタヨタとも・・・) 走行距離にしてホンの数キロだったにも関わらずすでにぐったりな私は帰路へ付くことに。。。

 行きと違う道を通ったら、愕然!そうだ、この道は2斜線道路にぶち当たる。幹線道路ではないが、裏道として そこそこ車通りのある道でした。それまで車の少ない所で走っていた私は緊張しつつ 一時停止から左折に挑みます。。。が、案の定思いっきり対向斜線へはみ出すほどの大回り。 そこへ真正面から車が走って来て・・・きゃーーーっ(@□@;)  車のスピードは大して出ていないのですが、バイクを扱えない自分の中でのパニック状態。 自分の怪我は自業自得だけど、私の所為で相手の車を傷つけたらどうしよう!と言う気持ちの方が 強かったのです。そのままコテンとバイクごとコケました。これで惹かれてたらオシマイでした。

 ぶつかりはしませんでしたが、わざわざ車止めて運転手さんが 「大丈夫ですか?」と出て来て下さった事への恥ずかしさ。私にも怪我は無く、 恥ずかしさとすまなさにさいなまれつつ、お礼とお詫びを言って逃げるように帰りました。 そして、入車当日にクラッチレバーが曲がってさようなら〜状態に。。。(泣)

 こうして不安いっぱいで始まったバイクライフ。立ちゴケ3回、クラッチ・ブレーキ・クラッチと レバーは3回交換#車通りの少ない夜中に近所を走るのみで、少しずつバイクに慣れてゆきました。 一応、夜中のバイパスを110km/hまで出せた記憶がありますね(^_^)日帰り最高距離は、購入先のバイク屋 往復(100km位かな?)。初日に出来なかった一時停止からの左折もこなせるまでになりました♪


■■あっという間のお別れ=エピローグ=

 友達達にはバイクを買ったことを話していましたが、猛反対をしている父を筆頭に親戚には一切話せません。 唯一、母にだけは隠したくなくて打明けましたが、家族としての心配を母1人に負わせてしまいました。 バイクで怪我は出来ない、ましてや事故死などしたら、知らない父や親戚に与える衝撃は計り知れない。 常にその意識があり、遠出はおろか、車の少ない時間帯の夜にふらりと走らせるだけでした。 10年ぶりの夢が叶った私には、それでも充分楽しかったのです。 ・・・ところが、バイクに乗れなくなる日が突然やってきます。

 一番の理解者である最愛の母が急逝してしまいます。1997年12月22日でした。

 そのショックから立ち直るまでには相当の時間が掛かりました。車と違って、とても乗りこなせるまで至っていない バイクの運転は、ただもう“精神的”と言う理由だけで乗れない自分が居たのです。 きっと、もしバイクで万一のことがあっても、母だけは味方になってくれるだろう・・・という 甘えがあったのでしょうね。その支えとなる母がいなくなってしまったのです。それに打ち勝つだけの精神力が 私にはありませんでした。

 それ以来、バイクには乗っていません。父は未だに反対者ですし、悪い事に「俺は娘にバイクを諦めさせた!」 と妙な勘違いを吹聴しています(-_-)バイクに乗れる自信はまた0に戻りましたが、 人生生きているうちにはまたチャンスもあるだろう!と、“乗る夢”だけは捨てずに持っている私です。


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