2012年1月19日(木)

■■母方祖父のこと

 テレビのワイドショーで、第146回芥川賞受賞者の記者会見の話題が取り上げられています。
報道等で【芥川賞】という言葉を聞くたびに、私は祖父のことを思い出します。

 母方の祖父は、寺の住職と共に作家(詞家)でもありました。
『寺を守る』という使命はありましたが、母はよくこう話していました。

「おじいちゃんは、住職であるよりも作家で居たい人だった。」

祖父は寺の仕事よりも作家の仕事に重きを置いていたのですね。
祖父が亡くなって、叔父が寺を継いでからは

「おじいちゃんの時と違って、お寺の雰囲気やお檀家さんとの距離が全く変わった。すごく良くなった。」

と言っていたことも覚えています。
祖父は根っからの『作家』だったのでしょう。
その祖父が亡くなったは私が小学5年生だった年の11月14日。
その日のことは今でも鮮明に覚えています。

 なぜ【芥川賞】の話題で私が祖父を思い出すのか。
それは、祖父が芥川賞の最終候補にまで残った経緯があるからです。

 文学に疎い私がその意味を知ったのは結構な年になってからでした。
振り返れば、祖母がよく「おじいちゃんはあくたがわしょうさいしゅうこうほ」という言葉を遣っていたような気がします。
母が私に語り残してくれた内容を搾り出すと

*祖父は川端康成先生と親しかった。
*子供だった母は、父(祖父)につれられて川端先生のお宅へ何度か行ったことがある。
*川端康成先生の印象は、ただただ『コワいおじさん』だった。
*父(祖父)と川端先生が部屋で話をしている時に、母は庭で遊んでいた。


等など。
母から聞かされていた時には興味がなかったけれど、
後に川端康成氏の写真を見た時に『コワいおじさん』と感じた母の気持ちがちょっと判った気がしたものです(^_^;)
祖父と親交があった証拠として、
母の家が災難にあった折に祖父宛に川端先生からお見舞いの直筆手紙が届きました。
その手紙は、今でも寺の居間に飾られています。
達筆過ぎてなかなか読めないのですが、紛れもなく直筆の手紙です。

 恥ずかしながら、私は未だに祖父の作品をあまり読んでいません。
短編を少しだけかじった程度。
随筆・小説の作品が多いようですが、その文章は至極詩的。ちょっと難しい。

「おじいちゃんは、小説家というより詩人なのよね。」

よく母がそう言っていたのを思い出します。
短編を読みながら、なるほど詩的な文章だな、、と感じました。

 祖父の作品について覚えているのは、【浅草走馬燈】というハードカバーの本が
近所の本屋に平積みで売られていたこと。 
多分、祖父が出版した最後の本だったと思います。
 私が中学生だったか高校生だったか、家にずらり並んでいる祖父の本を読んでみたい、と母に申し出たことがあります。
その時に母は

「あなたにはまだ難しいから。」

と、読ませてくれませんでした。
以来、なんとなく私の中で『祖父の本はまだ読めない』という印象を作ってしまったようです。
・・・で、未だに読んでないのはよろしくないですね(~_~;)。反省。
 祖父の本を読んでいないながら、唯一(?)私が登場する文章を幼い頃母に読んで聞かせて貰った事がありました。
祖父が書いたエッセイのような、確か雑誌の1ページに埋まる程度の文章でした。
詳しい内容は覚えていませんが、

『お祭りを楽しみにしている孫の姿を見ると・・云々』

というようなくだりがあり、妹はまだ赤ん坊でお祭りを楽しむ年齢ではない。
だからこれはあなた(=私)のことよ、と母が教えてくれたのです。
文字はよく読めない、多分私が3-4歳でしょうか。
けれど、その雑誌のページに細かい文字がびっしり埋まっていて
母に見せて貰ったこと、その場所を示してもらったこと、そして幼心に

「私のことがおじいちゃんの手で本に書かれて載っている!!」

という喜びの感情は40年経った今でもしっかり記憶に残っています。

 祖父が亡くなって33年が経ちました。
時代が変わり、インターネットに情報が溢れている昨今。
祖父の名前を検索すると、それはそれは様々なサイトにヒットします。
Wikipediaに祖父のページがあることを発見して驚きました。
Amazonでも中古品としてたくさんヒットします。
作家関係・芥川賞関係のサイトにも名前が残っています。
私にとってはあくまで『おじいちゃん』ですが、
祖父が生きてきた証が今でも世間に残っていることがどんなに嬉しいか、尊敬するか、
私の拙い言葉では表現できません。
今でもネットの中で生きているようで、すごく不思議な感覚です。

 毎回世間に【芥川賞】の話題が上るたびに、私はこっそり祖父に思いを馳せます。
祖父(=父)のことを話してくれた亡き母のことにも、思いを馳せます。
祖父と文章や言葉について話をしてみたかったなぁ。。。
 ものすごーーーーーーく自惚れなことですけれど、
私がこういう風に文字を大量に連ねること、表現することが好きなのは
祖父の血から来るものなのかな、、と考えることがあります。
振り返れば、大学受験の折、小論文という科目ではたいした勉強量がなかったにも関わらず、
自分でも驚くような好成績が取れていたのは“祖父の血”だったのかなぁ、とかね(^^ゞ
自惚れ、自惚れ・・・(^^;;)ゞ
 けれども、そう考えることで祖父と間違いなくつながっているんだ、と思えます。
つなげてくれた母にも猛烈な感謝をしていますし、
母も同じように文字を書くことが好きな人だったと思い出します。

 ささやかながら私の持っている祖父の記憶を、今度は私の愛娘にも時間をかけて繋いでいきたい。
今、とても強くそれを感じています。

 私の祖父の名前は 一瀬直行(いちのせなおゆき) です。
ご興味を持たれましたら、どうぞネット等で調べてみて下さいm(__)m。



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