2004年3月24日(水)

■■お彼岸

   母の実家が寺なので、幼い頃から仏事には触れていた方かもしれません。
母方の親戚の法要は大抵その寺で行っていましたから、
訳もわからない頃から法事の席に参列し、「早く終わらないかなぁ・・」などと
不謹慎にも考えていた事を思い出します。

 とは言え、うちの家族は特に宗教心を持っていませんでしたので、仏壇も神棚も無い家で育ちました。
母に促されるままに、「今日はお盆だから」「お彼岸だから」という言葉だけで
寺=祖父母の家(現在は叔父叔母の家)に行ってお墓に手を合わせていたものです。
それも、父方ではなく、自分の姓とは違う母方のばかり・・・(^_^;)
私の中では、“お参りに行く”というより“おじーちゃん・おばーちゃんの家へ遊びに行く”
という感覚しかありませんでした。

 しかし、1997年12月に母を病で亡くしてからは、そう無関心でもいられなくなります。
ちゃんと勉強した訳ではないし、未だに寺の叔父・叔母に促されないと忘れていたりしますが、
それぞれの節目となる仏事には母が帰ってくる(・・という表現で正しいか解りませんが)と思うと、
ないがしろには出来ません。

 娘として甘えるだけ甘えただけで、何の孝行もしていないうちに居なくなってしまった母に対して、
私は非常に負い目というか悔しさというか未練のようなものを常に感じています。
夢にも頻繁に出てきてくれるのですが、(今となっては、夢でしか動く母に会えないから
それはとても嬉い☆)同じように母の事を思ってくれている親戚や母の友人達は
さすがにもうほとんど夢にも来ない、と口を揃えて言います。
何で私はこんなに母の夢を見るのだろう・・・と考えた時、
私同様、母も私に対して心残り、、心配、のようなものがあるのでは無いか?
と思うに至りました。そう言えば、夢にでてくる母は、いつも決まって悲しい顔や
苦しい顔をしています。心から笑ってくれていた夢の母は数える位、その中でも
私が夫になる人を母に紹介して(しようとして)いる夢の時だけでした。

 また、私が母の夢を見るのは、大抵精神的に弱く、ナーバスになっている時です。
結婚式前まではとても頻繁に夢に出ていた母が、
幸せな結婚後にはめったに現れなくなったのも頷けるような気がします。
※母には夫となる人を紹介出来なかったのです。。。それが何より悔しい(>_<)

 最近はあまり夢にも来なくなったころの彼岸の入り。久しぶりに母の夢を見ました。
昼間お墓に行って手を合わせてきたこともあるのでしょうか。
また、私の中で「今日は彼岸の入りだなぁ・・おかーちゃんも此岸にやってきたかなぁ」
と考えていた事で心が敏感になっていたのでしょうか。

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 相変わらず心配顔の母が、私と妹の元気を確認するように、かつてのように
他愛ない会話をした後「先に行ってるね」と言って出かけてしまう。
妹と家の戸締りをして後追うように出ようとするのだが(またその家が、母の実家でもある寺だった)
具合の悪い母をひとりで先に行かせて大丈夫かしら?
早く戸締りをして追いつかねば・・と焦る私。
ところが、なぜかなかなか鍵が閉まらない窓。
早く出かけて母に追いつかねば倒れてしまう!という焦りと不安の中、
部屋の中に黒くて大きな、片羽を傷つけた蝶が舞い込んで来る。
妹もその蝶を別の部屋で見た、と言う。。。
はっ!あれは母の生まれ変わり?今にも息絶えそうに弱々しく舞いながら
私と妹の様子を見に来たの??

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 というところで目が覚めました。

 久しぶりにしては、彼岸というタイミングと、妙にリアルなストーリーの夢で
やっぱり心の繋がりを感じざるを得ませんでした。
またなにか天国の母に心配を掛けさせちゃってたのかな?私<(._.;)>
ごめんね、おかーちゃん。

 因みに、翌日の夢には、母方の亡き祖母が同じ様にはっきりくっきりと夢に出て来てくれました。
・・・心、相当弱っているかな(^_^;)



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